遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

父の日がただの日曜になった8歳のころ

今週のお題「お父さん」

お題に沿って書いてみようと思うけれど、実は私は小学校に入って1年ほどで父がいなくなってしまった。

そんな父に何か言うとしたら「お幸せに」の6文字で事足りるが、そこまでに至るには長い長い色々があった。



この話を対面で誰かにすると非常に重い気がして、ほとんどしないけれど、ここは自分のブログなので少し書くのはありかなと思い、書いてみる。

離婚とか不倫とかが嫌で読みたくない人は飛ばしてもらえたらいいと思う。子ども目線の実体験だから。




当時の記憶は断片的だけれど、1つだけ鮮明に覚えているのは


「お父さんはな、運命の人を間違えてしまった」
「ホントは別な人と結婚して、子どもが欲しかったんだけど間違ってしまったんだ、お前じゃなかったんだ」



と、私に言って、出ていったこと。



…父にはどうやら、他に好きな人がいたらしい。

優しくしてもらった記憶があんまりない。

運動会や学芸会に来てはいたが、何か上の空な父の様子しか記憶にない。

その一方で、夜になると家の黒電話で何やら電話をしていた。「仕事だから」と近寄るのを許さなかったし、突然「仕事」で出かけて行った。

人は心が別のところにあると、能面みたいに見えると、8歳ながら実感したものだ。

お父さんは、今私の目の前にいるけど、私を見ているけれど、多分見えている景色、見たい景色は別なものだ、と悟った。



母親は知っていたのだと思う。
それでも見ないふりしていたようだった。
関係修復を望んでいたのかどうかは知らない。


当時の記憶はあやふやで、あんまり覚えていないのが救いでもある。


その後、先日亡くなった母方の祖父の近くに引っ越して、いつの間にか離婚は成立していた。

どうやら、父はその愛する人のもとに借金は持って行かなかったらしく、学校の登下校の時に黒いスーツのおじさんたちに「お父さんはどこ?」と言われる生活がしばらく続いた。

最後は黒スーツの親玉みたいな人が出てきて、「この子、多分ホントに知らないんだ、嬢ちゃん悪いことしたな」とチョコレートを置いて去って行った。



他にもまだ色々あったけれど、省略する。
トレンディドラマのようにトレンディには事は進まず、私の両親が今どきの芸能人なら、ミヤネ屋などで1週間は盛大に叩かれまくるであろう出来事が続いた(らしい)。


今聞く父の動向は、その「本当に好きな人」と再婚して子どもがいるらしいということ。



それでも父方の祖父母は、「長子」に家を継がせたかったようだ。だから、私のあとをつけてみたり、学校行事に乱入したり、お金渡すからうちの子になれと迫ったりと、結構しつこく接触を試みてきた。


一度、父方の祖父母の嫌がらせがえげつないので、やめてくれと電話をしたら

「俺の本当の幸せの邪魔をしないでほしい」
「だけど祖父母はお前のじーちゃんばーちゃんなのは事実だから、そこは我慢してやって欲しい」

という激しい理不尽を言われた。



でも特に悲しくはならず、あーあ…やっぱりかぁ…くらいの気持ちだった。


その「間違えられた」「幸せの邪魔」な存在のままでは終わりたくない!と歪んだ闘争心がわいてしまった私は、勉強とか趣味とか資格とか、人並み以上に頑張ってしまい、今に至る。



大人になって、私も結局シングルマザーになっているのは、もしかしたら父親像が分からない私にも責任があるのかもしれないが…そこは置いといて。


「他の人との子どもが欲しかった」などと平気で実子に言い放つような父親を見て、父の日なんぞいらない、敬う必要はないと思った8歳の自分のようには、我が子はしたくないなぁと思う。


「あなたたちに会いたかったから、今のお母さんがあるんだよ」
「他の誰でもなくて、あなたたちじゃなきゃ、私は嫌なんだよ」
「あなたたちのお父さんもそこは同じ気持ちだよ」

…というのを、しつこく我が子に口に出して言っているが、それは、もしかしたら昔の小さかった自分にも、大人の私が言ってあげているのかもしれない。
子どもが親にいらんと言われるのは、じわじわ堪えるのだ。


…何だか長くなってしまった…