遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

断続的黄金週間(その2)~久々の祖父母の家へ

マックの信玄餅パイ、美味しかった。


5/3からの連休後半。
初日に、ここ最近にしては遠出をした。

行き先は実家がある町へ。車で長めのドライブ。

少し迷ったが、納骨前に、2月に亡くなった祖母の祭壇にどうしてもお線香をあげたかったのだ。


久しぶりすぎる祖父母の家。

実は祖父のお葬式以来、2020年6月以来だった。


コロナが流行り始めたその頃に、祖父が亡くなった。

そのときはまだオミクロン株は無く、岩手の感染者がゼロだったのでマスクをして葬儀に参列した。

その後、お盆は仕事で行けなくて、その秋に祖母のガンが分かった。

それならば会いに行かない方が良いかもしれない、と、訪問を控えた。

母も入院しがちだったので、免疫力や抵抗力が落ちていたら…と心配して、敢えて行かずにいた。

そうこうしているうちに2021年の終わりが近づき年が明け、オミクロン株が一気に流行りだして、祖母の容態が急変。

会うことが叶わないまま、祖母はこの世を去った。

薄情な孫で申し訳ない、コロナ禍を言い訳に行かなかった私が怠惰だったかもしれない、とも思った。
けれど、母や叔母には、賢明な判断だった、それもまた心配や労りの形だって分かっているよと言われた。



そんなことを思いながら久しぶりに行った祖父母の家。

祖母がいつものように玄関先に出てくるような気がしてならなかった。
よく来たなぁと、畑から頭の手ぬぐいを取りながら声をかけてくれるような気がした。

でも、祖母はもういなくて、小さなお骨になっていた。


今もそこに暮らしている叔母と母が待っていてくれて、短時間だけれど久々に話をした。


移動の途中、息子たちが選んだ花を供えてきた。
もうすぐ母の日だもんね!そして、おばあさんこの前誕生日だったよね!とカーネーションやかすみ草も混ぜて買っていたが、その組み合わせを母や叔母がとても喜んだ。


祖父母の家は、15歳まで住んでいた。だから、実家、とも言える場所。
そんないつもの実家なのに、何だかとても広くてしずかで、さんさんとお日さまの光が入るのが逆に切なかった。

当たり前だけれどみんな年を取るし、いつかは命の火も消えていくんだけれど、そのときそのときを頑張って後悔がないようにしないとなぁ。
難しいこともたくさんだが、改めてそう思いつつ帰路についた。


そうして帰宅後。

祖父母に畑の作り方を聞いて写真に収めた5年前の画像をGoogleフォトが通知で教えてくれた。

母から手渡された、祖母からの最後の贈り物…今年の正月にまだ元気だった祖母が「次、まーに会ったら渡さなくちゃ」と直筆で宛名を書いてくれたという息子たちへのお年玉。

これらの小さなもの、ことが、祖母がずーっと生きていた事実と、もう今はいないという事実を痛いほど思い知らせてきて、何とも言えない気持ちになった。


ずっと心の中で気にしていたので、やっと直接手を合わせに行けたので、何だかとてもホッとした。