庭のイチゴが赤く色づいた。酸っぱいイチゴ。
タイトルのこと……少し時間が経ったけれど、一度書き残そうと思う。
先日の訃報、驚いた。
その数日前だったか、録りためたテレビ番組を見ていて、だいぶ前の上島さんを見た。
少し小さくなったなぁ、そして、どこか陰があるのは、年を取ったからなのかな?とぼんやり思いながら、コントを見てゲラゲラ笑う息子たちを眺めて、お茶を飲んでいた。
有吉の壁という番組で、若手芸人がダチョウ倶楽部のオマージュ?のような芸をしていて、やっぱり、あれはもう定番だよなー、と笑ってしまった。
そんなこんなのあと、職場で、同僚から訃報を聞いた。
何だかとてもショックで、でも、何だか、やっぱりそうなのか、何か苦しい気持ちがあったのか、と思ってしまうような、静かに悲しい気持ちだった。
そして、身近で誰より悲しんだのが、長男だった。
彼はドリフが大好きで、ダチョウ倶楽部のコントも好きで、録画をしてと度々せがんできて、繰り返し繰り返し見ていた。
おんなじネタでも、初めて見たかのように笑っていた。
押すなよ、押すなよ!というネタも、自分でもやって見せて、いや、そこは母さん押すとこだって!とゲラゲラ笑っていた。
訃報を聞いて、何故亡くなってしまったの?と訊ねられた。
嘘をついてもどこかで分かってしまうだろう、と思い、そのとおり、でも簡単にだけ伝えた。
その時の悲しそうな顔。
あまり知らせたくなかったな、と思った。
そこからしばらく、夜寝るときに怖がったり泣いたり、自分で自分の命を絶つってどういうことなのか?と質問されたりした。
学校でも何だか様子が変だったらしく、担任の先生から、最近少し元気ない、と連絡をもらったので、事の顛末を話したら、妙に納得した様子だった。
そして、先生も色々考えてくれて、ゆっくり話す時間を作ってくれたらしい。
私も翌日が休みの日の寝る前に、今日は特別だ、とココアをいれて、のんびり色んな話をしてみた。上島さんの話、というわけではなく、何となくテレビを見て、座って話す、という感じで。
いつもは忙しなく、立ったままで台所で話をすることがどうしても増えるけれど、たまには良いなぁと思った。
おじいさんもおばあさんも、志村けんも上島竜兵も、みーんな、オレが大切な人が先にいなくなるんだなぁ、と布団でつぶやいていた長男。
そうやって、知らなかった気持ちをまた覚えていくし、やりきれない気持ちもどうにか乗り越えていくのだろう。
そうやって積み重ねて、いつか大人になるのかなぁ。
息子を見ながら、上島さんを偲びながら、私自身も、何となく色んなことを考えた出来事だった。