モヤモヤするときは土を触りたくなる。
雑草を抜いて、枯れた花や葉を除いて、新たな花を植えて…と一連の作業を考えながらも無心で取り組むと、少し気持ちが落ち着く。
この前、YouTubeのとある動画でとても腑に落ちたことがあった。
不安感が強い人は、一度に、過去と現実と未来を同時に考えてしまいがち、とのこと。
土をいじりながら自分の気持ちを考えてみると、確かにそういう思考回路なのだ。私は。
先週、かなり強い雨が降り続いて雷も鳴りまくって心底怖かった。過呼吸になりかけた。
今日の天気予報見たら、来週の発雷確率がとても高い日があった。もしかしたら同じようになるかもしれない。
来週またしんどい思いをするかもしれない。どうしよう。怖い。来週が来るのが怖い。出かけるの辛い。(過呼吸なりかけ)
…こういう思考回路になりがち。いつも。
雨、雷恐怖症じゃない人からしたら、果てしなく意味不明で無駄な考えだと思うのだが、これをひたすら大真面目に考えてしまう。
とりあえずでも受け止めてくれる人がいれば良いのだが、何馬鹿なこと言ってんの?とか言われようものなら、ますます心が縮こまり、パニックは増幅する。
これが、調子が悪いと発展して怖がりが別なところにも伝播する。
昨日の安倍元首相の事件のニュースを垂れ流されるがままに見続けると、
一般教養として持っている過去の歴史的悲劇を連想して、
現実として安倍元首相は命を落としてしまって、何を見ても無限ループでそのニュースが目に耳に入ってきて
この先もっともっと恐ろしいことが起きるのではないかと根拠無く怯え続ける
…という最悪の思考回路に入る。
ウクライナとロシアの争いが始まった2、3月頃にも似たような思考回路になり、眠れなくなった時期があった。
すぐ崩れる弱い心をお豆腐メンタル、とは良く言うが、私の場合、コンディションによっては豆乳メンタルかもしれない。
そういう自分のモヤモヤを引き受けて成果を形にして返してくれる庭仕事は、仕事が忙しいときは頻繁には出来ないけれど大切な時間。
忙しい日でも水やりと肥料の管理だけでもずっと続けて、それに花たちが応えてくれたら、何となく、心が安まる。
花だけでなく、子どもたちも支えになっている。
一昨日、夜のテレビがどこを見ても報道特別番組で、同じ事を繰り返し繰り返し伝えていたのを見た彼らが、私のように不安を感じたらしく、夜、まるで私の心の中をなぞるかのように、不安や怖さを伝えてきた。
それに対してなだめて安心させるための言葉は、私自身にも伝えたい言葉なんだよなぁ、と思った。