遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

子どもたちのこと~トライアンドエラーの軌跡

今日はパソコンから更新している。
実は、キーボード操作は結構得意で、スマホの半分くらいの時間で文字を打てるので、本当はパソコンから更新するほうが効率が良いのはわかっているのだけれど、そもそも家では寝るまであまり座らないことが多いので、結局立ったままスマホで日記を書いていることも多い。
もしくは、会社の昼休みにデスクで更新しているか。

パソコンだとスマホよりすらすら言葉が出てくるのでついつい長くなってしまうが、今回は、少しまじめな話。


昨日の日記にもつながってくる部分があるが、うちの次男は、ADHDの診断を受けて、定期的に通院している。

保育園のころから何故か先生がいつもマンツーマンでついていて、ほかの子と同じに見えるのに、なぜだろう?と思っていた。
自分の子だから見慣れていて、長男と性格が違うのは当たり前だから、こんなもんだろうと思っていた。

でも、ある日、保育園から呼び出されて、発達障害の可能性があるからできればそういう機関とつながりを持ってみてはどうかということと、小学校へ行ったときにどのようにするかを、今のうちから考えておいたほうがよい、と言われた。

0歳から4歳まで通った保育園でも、離婚を機に4歳から転園した保育園でも、同じことを言われた。

離婚する前は、「発達障害なんて、うちの家系・遺伝ではないし、恥ずかしいからそんなのだめだ」と外面を気にしつつも、そもそも子どもの深い部分に関心がなかった元夫に拒まれ、通院などは表立ってしていなかった。
しかし、だんだん行動範囲が広くなるにつれて、確かに大変だと思うようになったので、こっそりいろいろ相談していた。


突然走りだしたり、静かなところで大きな声で話し始めたり、思ったことは言わないと気が済まなかったり。
子どもらしいだけで片付くのかどうか、と疑問にも思っている真っ只中、離婚は成立した。


そのころ時を同じくして、小1だった長男も小学校で体育が一人だけ全くできず、しびれを切らした当時の担任から、教育相談や療育を勧められていた。

一人で悩んでいても、答えは一生出ないし、その間に子どもは大きくなって、今できることを逃してしまいそうと一念発起して、住んでいる自治体の役所へ行って事情を話し、教育相談を経由してしかるべき機関を紹介してもらった。

長男は手先のリハビリ、体の動かし方を、定期的に通って教えてもらった。
その結果、蝶結びも左右の区別もつかなかった小1のころからは比べ物にならないほどの成長を遂げ、リハビリは終えている。
いまや、後ろ手で蝶結びをしないといけない剣道をしているのだから、やはり早めに専門家に相談したことはよかったと思っている。

次男はそもそもどのような困りごとがあるか、簡単なテストなどでの現状把握をして、たくさんの方々に手や目をかけてもらい、最終的には医師からの客観的な判断で、ADHDと正式に診断が下りた。
高価な治療は無理だけれど、投薬治療、声掛けの継続、親のペアレントレーニング講座受講など・・・いろんな伝手も学校との連携もフル活用して、大人になったときに出来るだけ困らないよう今は模索中。
確かに効果はあるらしく、普通学級でもほかの子と仲良く楽しく暮らせるようになった。


それでも、昨日みたいに、突然困ったことを連続でやらかしたり、道路で突如車道へ出ようとしたり、出かけた先で「あのおじさん、髪がない!それに、大きな声で怒鳴っていて怖い!」などと大声で言い出すなど・・・ものすごくハラハラすることは多い。

そうならないように細心の注意は払っているが、これらのことでよその人から親の私が怒鳴られたことは数えきれない。

子育ての仕方が悪いから、とか、もっと事情を知っている人なら「お父さんもいたらこんな風には育たなかったんじゃない?」とか、悲しいことも言われてきている。

頭を打って救急に連れて行った次男につきそったときに、大きな病院の待合室で、痛みもあり落ち着かない次男と待っていたとき、まさにそんな風に知らないおばさんに「親の育ちが知れるわね」「親に似て馬鹿な子なのね」と言われた。
精神的に限界が来て、待合室で大声で泣いてうずくまり、それを見た長男がほかの人を呼び・・・最終的に私も急遽診察になったこともある。
そのおばさんは私は本当のことを言っただけ、と仏頂面していたが、隣にいた旦那さんがその奥さんをものすごく怒っていたのが遠くで見えた。最後は私のところにふたりで来て、謝られた。
私は許せなくて、無言だった。旦那さんは優しかったので、最後は旦那さんにだけ目を向けて、うるさくして、すみません。お大事になさってください、と言った。

そこまでの出来事は極端な例ではあるが。
大なり小なり、他人からのいろいろに傷ついて親なんかやめたいなあと思ったり、ペアレントレーニング的にはよくないとわかりつつも時には頭に来て子どもたちにかなりきつい言葉を浴びせてしまったり、トライアンドエラーを繰り返しながら今に至っている。
でも子どもはやはりいろいろ宝物をくれる唯一無二の存在で、かわいいなあと思う大前提があるからこそ、頑張れる。


前は泣いてばかりだったが、今はこう思う。
うちはうちで最善を尽くしているから、それでいいのだ、と。
多分元夫がいたら、発達障害ということを認めたくないエゴの妨害を食らって、絶対に今ほど丁寧に長男、そして次男の困りごとと向き合ってこれなかっただろうから、何も知らない誰かに言われたことをクヨクヨするのはやめた。

これからもまだ、試行錯誤は続く。