…小さい頃のことをふいに思い出した。
父が運転する赤いオンボロな車の後部座席で、私は窓の外を見ていた。
カセットテープだったのかラジオだったのかは分からないが、ユーミンの「Anniversary」という曲が流れていた。
ちゃんとした曲名は、少し年を取ってから知ったが、父がよく聴いていたのだけは覚えている。
高速道路だから窓は開けていないけれど、風が入ってきそうな空気感、さわやかな夕暮れだった。
単に車がボロかっただけの可能性も、あるのだが。
空がオレンジ色と水色と紺色のグラデーションを作っていた。
高速道路独特の緑板に白字の行き先表示を見て、行ったことがない「仙台」や「東京」の街を想像した。日が暮れても明るいってホントなのかな、と。
…父は「お父さんは今度東京へ行くんだ」と言った。
父は自由な人だった。
突然アメリカに長期出張したり、グロリアという車を買ってすぐに擦って泣いていたり、借金をして、後に小学校に入学した私まで黒いスーツのお兄さんに行き帰りに付きまとわれる羽目になったり。
最後はとうとう高校時代の元カノと不倫して母や私たち子どもを捨てて再婚しちゃうようなダメ男の鑑のような男だったが、一緒にいたときは一応、父親の真似ごとくらいはしてくれていたと思う。
今思えばファッションセンスは皆無だった。
袖部分だけメタルグリーン、白地で背中に神龍みたいな刺繍があるスタジャンと、パーマをかけているかのようなくるくるなくせ毛。
申し訳程度に付けている左手の薬指の指輪。
顔はうろ覚えなのにその3つは記憶にある。
手を繋いで盛岡を歩いたときの夕焼けと、セットの記憶だ。
今ごろ、どこで何をしているのだろう。
再婚してから次々生まれたと聞く私の異母妹か異母弟も、さすがに成人しているだろうから、孫に囲まれておじいちゃんっぽいことをしているのだろうか。
記憶の片隅に、私のこと、残してくれているだろうか。
ベリーショートで、父とデザインが同じ、袖だけ赤の、背中に花の刺繍が入ったスタジャンを着た私のこと。
それとも、新しい家族で上書きしたのだろうか。
「お父さんは、運命の相手を間違えたんだ」と、言っていたから。
愛車に乗って、息子たちと夕暮れの高速道路を走りながら、突然蘇った記憶に動揺したと同時に、少しだけ父に会ってみたくなった。
30年以上経った今、ほんの一瞬でも、私のこと、どこかで思い出してくれているのなら、きっと私の中の幼い私はニコッとする気がする。
どんなにバカでも、大嫌いにはなれないのだ。
※次男撮影