遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

軌道に乗せる

新年度が始まり、10日ほど。

多忙だが、多忙な方が余計な思案にくれずに済むのである意味良いのかもしれない。

 

先週、隔月で通っている心療内科に行ってきた。

今は春。冬から春の東北地方は雷が少なく、雨の量も、そこまで強くはならない。

でも、相次ぐ地震や先のこと、考えると予期不安が募り、途端にパニックが襲う。

だから、今のうちから少しずつ、不安に備える。一方で、心が有事に備えようとしすぎてパニックになるのも事実なので、あまり遠い先のことまでは考えないようにすることも、大切。

 

主治医の先生からは、「予期不安で考えている事態がすべて起きたら予想的中100%、と仮定して、実際にはどうだったかをその都度、数値化してみてね。」と言われた。

 

モヤモヤムクムクした不安を形にすると、持ちきれるか持ちきれないか、少し分かって安心できるようになる、と。

心の安定を出来るだけうまく軌道に乗せられるように、出来るだけ、試してみようと思う。

 

 

息子のスポ少も、新年度、無事に軌道に乗りそうだ。

特に団員募集のために特別なことはしていなかったけれど、ありがたいことに団員が倍以上に増えた。倍に増えてありがたい一方で、足りないこと、バタバタすることも多かったが、何とかなってきた。

 

昨年から父母会長になった私が1年間続けたことと言えば、大きく3つ。

それまでの、意地悪姑か何かですか?!と言いたくなるような父母会の暗黙の了解を色々やめさせたこと。

初心者の人にも分かるように、何かをするときには、都度しつこいくらいに説明を丁寧にしたこと。

スタメンの子以外はいてもいなくても別に同じ、とか、高学年の親>低学年の親というスタンスはせず、保護者みんなに定期的に声をかけたこと。

 

そうしたら、1年で低学年の団員がどんどん増えた。

友達を連れてきてくれたり、ポスターを見たと見学に来たり…ありがたいこと、この上ない。

 

うちの息子が低学年だった頃、お世辞にも居心地が良くなかったスポ少だったので、会長をやるなら、どうしてもそこを何とかしたかったのだ。

私のおかげではなく、ただの偶然や他の方のおかげが大半とは思うが、それでも、うまくいって良かった。

 

団員が減り続けて廃部すれすれの危機は乗り越えた。

あと1年会長職をするので、いい雰囲気を維持する努力をして、この1年で少しずつ他の人たちへ引き継ぎできたらと思う。

 

この前行った御所湖。

桜は、まだつぼみが多かったが、きっともうすぐ満開になるだろう。
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掃除をする


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ちいかわのラーメン。

土曜日のお昼に食べた。

 

ここ最近ちっとも家のことをやれていなかったので、この休みは少し気合を入れて家の掃除をした。

 

でも、ちっとも物が減らず少しだけ自己嫌悪。

 

腹立たしいことに、息子たちは片付けが苦手だ。

特にも、ADHDの次男は、自分で片付けてどこに何をしまったのかをわからなくするし、調子が悪い日は、おやつを食べたあと、そのゴミをあちこちに置いたままにする。

何故か「怒られる」と思ってしまうようだ。

おやつは決まった時間にあげるし、仮に足りなくて追加で食べても大抵は怒らないのに。

「夕飯食べられなくなる」とか「お菓子でお腹をいっぱいにしてはいけない」とは言うけれど。

 

そんなわけで、いつのお菓子のゴミ?!と思うものが、本棚の後ろから出てきたときは、イライラの沸点までガーッと上り詰めそうになったが、そこは耐えて、声をかけて片付けをさせた。

 

私も片付けが得意ではないから、きれいな家を保つのはかなりエネルギーが要るけれど、そこは頑張って続けていきたい。

 

 

 

 

 

奇跡だったよ!

長男とお別れする担任の先生との話のその後。

 

数日前、突然朝早起きした息子から、「かーさん、Amazonで先生にあげるネクタイを買いたいんだ!だから、オレのお年玉、残っているお金を少し使わせてほしい!」と言われた。

 

その熱意におされ、2人で早朝からネクタイを選んだ。

私が、ちょっと茶化してふざけた柄を選ぼうとしたら、「先生は青なんだ。授業参観とか、大事なときは青いネクタイしてるんだ。」と真顔でいうので、私も真面目に考えることにした。

予算。色。先生の好み。長男の意見を聞き、注文した。

 

滅多に使わないお急ぎ便を使わせてもらい、無事に品物が届いたとき、息子はAmazonの配達の人にめちゃくちゃ感謝して、逆に恐縮されていた。そして配達の人は、「こんなに喜ばれると嬉しいです〜」と言いながら帰っていった。

 

 

 

そして晴れて暖かかった昨日、先生に会いに息子は学校へ走ったらしい。(私は仕事へ行っていた)

 

正直、少し心配していた。

 

プレゼントを持って、取るものも取らずダッシュする息子が、車にぶつかったりしないだろうか…

 

息せき切って学校に行ってみたら、もう先生は来ないと言われて、包みを持って呆然としてしまわないだろうか…

 

どちらもその光景を想像して、勝手に私が泣きそうになっていたが、それは杞憂だった。

 

しっかり戸締まりをして、車にも気を付けて歩いて、学校で職員室を訪ねて、先生との時間をもらったらしい。

 

昨日までも、ほとんど毎日学校の校庭へ行き遊びつつ先生と一言ずつ話していたらしいので、年度末に仕事の邪魔しないでとヒヤヒヤしていたが…いつ会っても、先生は先生のままだったらしい。ありがたいこと、この上ない。

 

今日は、朝から降りしきる雨と風を見て、歩いて出かけるのは諦めたようだったが、昨日きちんと会えたことで悔いはなかったのか、窓の外を見ながらぼんやりしていた。

 

3年も担任してくれるなんて、奇跡みたいだったよ!オレ、良かった!

また会えると思うからまたねって言ったよ!

…そう笑う長男は、きっとそれを糧にこれからも頑張るはずだ。

 

そして今日で年度末。

さあ、月曜日から新年度。

 

別れを惜しみ、しかし、出会いや新たな関係を喜ぶ。

春を楽しめ。息子たち。

 

まだまだ上手くなりたい!

今週のお題「練習していること」


11歳の時から、あちこちで打楽器の演奏をさせてもらっている。

小学校のマーチングバンド
中学校の吹奏楽
高校の吹奏楽部(一時期はハープ奏者だった時期もあるが)
大学では吹奏楽団の助っ人をしたり、ロックバンドを組んでドラムを叩いたり…
社会人になったら、同僚ともバンドを組んでみたり、サークルの仲間とたまに集まってみたり…


振り返ると、とにかく、定期的に何かを叩いている。


もう機会無いかもと思っても、ここまでの色んなご縁から、折々に声をかけていただけるのだった。

大して上手くもないのに、ありがたいことだなぁと思いながら、可能な範囲で参加してきた。

何もなくても、たまにドラムを叩きたくなり、1人でスタジオでドラムを叩きまくる、という気分転換を何度してきたことだろう。

ドラムやパーカッションを楽しむことは好きだからこそ、忘れたくないと、今でも思っている。
同じように忘れたくないものとして、昔必死で勉強したロシア語もあるのだが、こちらはまたの機会にブログで書こうと思う。



ちなみに今もまた、新しく演奏の誘いが2つ舞い込んでいる。

仕事やら家やら超絶忙しいタイミングなので迷ったが、だからこそ好きなことしよう!と決めて、それぞれ話を受けることにした。
その楽しみがあるから、ちょっと骨が折れる仕事も気合が入るというものだ。


出番は1年後だったり来月だったりするのだが、内容を聞いてみたら、無理なく楽しめそうだった。


近々、馴染みのスタジオを借りて、またドラムを練習してくる予定。

37歳の田舎のアラフォーお姉さん(※おばさんと言わないのはちっぽけなプライドゆえ)がドラムを叩く姿などどこに需要があるのかしら、と思わなくもないが…

だって、好きなんだもの!音楽が!
まだまだ上手くなる伸びしろはあるはず。
上手くなりたい、という向上心も。

…ということで、これからも体力続く限り、練習は続けていこうと思う。

めぐり逢えるから

長男は今日も、担任の先生にあと何回会えるかな、オレのこと、忘れないでいてくれるかな…と、定期的に私に聞いてくる。

これについては決して面倒くさがらずに返事をすることにしている。

大丈夫だ、あなたは先生にとって、初めての生徒の1人だから、と答える。

 

絶対に忘れることはないんだよ、と。

 

3年連続担任してもらえた、というのは、岩手県の公立小学校では比較的イレギュラーだったと思う。

去年、クラス替えしてもなお、その先生が担任だったとき、嬉しすぎて嬉しすぎて、会社にいるわたしに電話をかけてきた息子だったから、お別れのタイミングは辛いだろうなと覚悟してはいたのだが…今、この年度の変わり目の数日で、長男は別れを咀嚼して受け入れるのだろう。

 

息子は泣かないけれど、寂しさが言葉の端々に見え隠れするので、見ているとこっちが泣いてしまうのだが…これもまた、彼の試練なのだ。

 

それにしても、ほとんど同じ。私が小学5年生のときと。

 

私は、田舎の小学校で、4年生、5年生と、新人の先生に担任してもらった。その先生のことがとても好きで(もちろん恋愛ではない)、色んなことを話したし、その先生とサッカーしたくてサッカークラブに入ったりもした。

5年生の終わりに、その先生が転勤になったとき、今の長男と同じように、母親に「先生忘れないでいてくれるかなぁ」と繰り返し尋ね、安心を求めた。

その先生は転勤して間もなく、結婚して奥さんの苗字を名乗った。お婿に行ったことも、長男の先生と、全く同じだった。

 

年賀状や手紙のやり取りを、高校生まで続けていた。翌年は新しい担任の先生と馬が合わず、保健室登校になってしまったので、その辛さを吐露した。

その後も、受験に受かったこと、部活で東北大会に出たこと、出来るなら大会を見に来て欲しいこと、英語の先生になりたいから大学受験するのだということ…短いやり取りだが、繰り返し手紙を書いては、たくさん応援してもらった。

震災のあと、沿岸にいたらしいその先生とはやり取り自体は途絶えてしまった。

しかし、偶然にも今、息子が通う隣の小学校にその先生が着任していた。なかなか話す機会は無いまま、4月からは別の学校へ行くみたいだが。

 

…こうやって、11歳だった私が37歳になってもなお、自身が願えば、繋がりは切れずに、続いていくのだ、と、長男に話して聞かせた。

 

それに、私もかつてたった一ヶ月教育実習をして、たった一ヶ月だけ受け持った子たちのことを、忘れていないんだもの、大事な教え子なんだもの、と言うと、長男はとてもホッとした様子でまた本やゲームに目を向けた。

 

願えばまためぐり逢える。

あなたが忘れなければ、相手もきっと、心に残る。大丈夫。

大人の世界はもっとシビアかもしれないが、それでも…それでも、人の心は、大切にすれば、それに応えてくれると、信じていたいのだ。

 

春だから、色々

金曜日はWeb会議でプレゼンをして

土曜日はスポ少の集まりで司会をして

日曜日は子ども会の会長の仕事をして…

 

ここ1ヶ月ほど、一昨日までの3日間に向けた準備がかなり、かなり大変だったので、だいぶ消耗して気が抜けた月曜日となった昨日。

 

人の上に立つ立場というのは、少なからず意見や不満と対峙することも出てくるわけで…

文句言うならお前がやれよ!という気持ちを、初めから剥き出しで相手に突っかかると、その先に待つのは不穏と不和しかない。

 

なので、努めてにこやかに。

しかし、淡々と。

あまりにも文句ばかり言う人に「それなら、ぜひ◯◯さんにこの仕事おまかせしたいです。私よりきっと良いものが出来ますよ!さあ、交代しましょ!」と明るく言ったら、静かになってしまった。

せっかくもっと優秀な方に仕事を交代してもらえると思ったのに、もっと良くなりそうなのに残念です…、と、伏し目がちに言う私は、性格がとても悪いと思った。

 

 

ここ数日度々ゴスペラーズの歌のことに触れているが、精神的に疲れがたまると、ゴスペラーズばかり聴く傾向が高まる。

昔からなのだ。

 

 

あとは、春先にロックを聴きたくなる。

RADWIMPSとかフジファブリックとか、ACIDMANとか。

変化に対する寂しさやドキドキが、幾分和らぐ気がする。

 

そうやって自分の心の均衡を保つことは、37歳になった今も変わらぬルーティンのようなもの。

そうやって自分を、手懐ける。

 

そうそう、長男の担任の先生は、結婚を機に隣県で改めて教員採用試験を受け直すのだとか。

おめでたいし、隣県ならこれからも会えるチャンスある!と長男が泣き笑いで喜んでいた。

新しい門出が我が事のように嬉しくておめでたい。少し寂しいけれど、それよりずーっと、おめでたい。だから、子どもたちとずーっと、応援していたい。

気持ち、行き交う

今日は小学校の先生の離任式。

息子たちは登校日。

 

長男は昨夜眠れなかったようだ。

それは何故なのかは深く追求しなかった。

夕方コーラを飲んだせいでカフェインが作用したのか、ついに来てしまった担任の先生との別れが辛いからなのかは分からないけれど、それらを全て噛み砕いて理解する必要は、いくら親でも、多分、ない。

彼の中で感情を消化すること、それもまた学びだ。

 

かくいう親の私も、一昨日土曜の深夜から日曜日の明け方は、眠れずに毛布にくるまり、テレビを見ていた。

深夜のBS、NHK

電車や駅にまつわる様々な人の思い出、エピソードをまとめた番組が放送されていた。

空が仄白んでくるのをカーテン越しに見ながら、見知らぬ誰かの過去の思い出を眺めた。

そうしているうちに、私自身も、制服を着て駅のホームで電車を待っていた中高校生の頃を思い出していた。

中学を卒業すると同時に親元を離れて下宿していた日々の中で、通学するとき、帰省するとき、また盛岡へ戻るときの様々な感情とか。

駅は感情や出会いや別れが行き交う場所だなぁと、実体験も含めてテレビを見て再実感した。

 

そうして、長男の担任の先生へ、感謝を伝えようと決め、便箋を出し、丁寧に手紙を書くことにしたのだった。

一筆箋じゃ、書ききれなかったから、便箋で。

 

 

そして、この別れの季節には、ゴスペラーズの曲がやはり似合う。

明るい曲も暗い曲も、私の心象風景に、ぴったりなのだ。