遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

めぐり逢えるから

長男は今日も、担任の先生にあと何回会えるかな、オレのこと、忘れないでいてくれるかな…と、定期的に私に聞いてくる。

これについては決して面倒くさがらずに返事をすることにしている。

大丈夫だ、あなたは先生にとって、初めての生徒の1人だから、と答える。

 

絶対に忘れることはないんだよ、と。

 

3年連続担任してもらえた、というのは、岩手県の公立小学校では比較的イレギュラーだったと思う。

去年、クラス替えしてもなお、その先生が担任だったとき、嬉しすぎて嬉しすぎて、会社にいるわたしに電話をかけてきた息子だったから、お別れのタイミングは辛いだろうなと覚悟してはいたのだが…今、この年度の変わり目の数日で、長男は別れを咀嚼して受け入れるのだろう。

 

息子は泣かないけれど、寂しさが言葉の端々に見え隠れするので、見ているとこっちが泣いてしまうのだが…これもまた、彼の試練なのだ。

 

それにしても、ほとんど同じ。私が小学5年生のときと。

 

私は、田舎の小学校で、4年生、5年生と、新人の先生に担任してもらった。その先生のことがとても好きで(もちろん恋愛ではない)、色んなことを話したし、その先生とサッカーしたくてサッカークラブに入ったりもした。

5年生の終わりに、その先生が転勤になったとき、今の長男と同じように、母親に「先生忘れないでいてくれるかなぁ」と繰り返し尋ね、安心を求めた。

その先生は転勤して間もなく、結婚して奥さんの苗字を名乗った。お婿に行ったことも、長男の先生と、全く同じだった。

 

年賀状や手紙のやり取りを、高校生まで続けていた。翌年は新しい担任の先生と馬が合わず、保健室登校になってしまったので、その辛さを吐露した。

その後も、受験に受かったこと、部活で東北大会に出たこと、出来るなら大会を見に来て欲しいこと、英語の先生になりたいから大学受験するのだということ…短いやり取りだが、繰り返し手紙を書いては、たくさん応援してもらった。

震災のあと、沿岸にいたらしいその先生とはやり取り自体は途絶えてしまった。

しかし、偶然にも今、息子が通う隣の小学校にその先生が着任していた。なかなか話す機会は無いまま、4月からは別の学校へ行くみたいだが。

 

…こうやって、11歳だった私が37歳になってもなお、自身が願えば、繋がりは切れずに、続いていくのだ、と、長男に話して聞かせた。

 

それに、私もかつてたった一ヶ月教育実習をして、たった一ヶ月だけ受け持った子たちのことを、忘れていないんだもの、大事な教え子なんだもの、と言うと、長男はとてもホッとした様子でまた本やゲームに目を向けた。

 

願えばまためぐり逢える。

あなたが忘れなければ、相手もきっと、心に残る。大丈夫。

大人の世界はもっとシビアかもしれないが、それでも…それでも、人の心は、大切にすれば、それに応えてくれると、信じていたいのだ。