遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

そういえば昨日は

父の日だったらしい。
世間的には。

私にとっては小学校低学年くらいから全く関係のないイベントなので、いつも、時期くらいしか分からない。


そもそも、父親なんていないも同然。
憎み方すら忘れてしまった。


不倫相手と再婚して出て行った人。
ザコンシスコンで祖母とおば2人の言いなりだった人。

愛情はこれっぽっちも残さなかったのに借金はたくさん残していった人。 
小学校の帰り道、頻繁に借金取りに私が追いかけられ、パパはどこ?と聞かれ続けたせいで、私は一時期声を失い、学校から家に帰る道で座り込んで、しばしば誰かに送ってもらっていた。

父方の親戚の度重なる尾行や接触に耐えきれなくなり、高3の時に一度連絡を取ったら、俺の幸せを邪魔するなと言われた。
私には腹違いの兄弟が3、4人くらいいるらしくて、彼らの心を傷つけたくない、大切な家族だと言っていた。
そうか。私なんかより後妻とその子達だよな。守りたいもの。



考えても考えても良いところが見つからず、むしろフルコースでダメ親父だと思う。漫画のキャラでももう少しマシだ。
入院したときにセーラームーンを全巻買ってくれたおじさん、という認識しかない、生物学的に父親の立ち位置な人。



別にそんなこと、敢えて言う必要も振り返る必要も無いと言えば無いのに、こうして父の日の時期が近づくと気まぐれにブログで触れてしまうのは、この文章を書くことで何となく自分の過去を清算?供養?している節もあるなぁと、最近思う。


私は私が大嫌いだった。
見た目も声も、性格的な可愛げのなさも。
何も愛される要素を持っていない。
だから幸せになりたいと思うことを意図的に避けて、いばらの道を通らなくちゃいけないのだ、そっちを選ぶことこそお前に相応しいと、自分を痛めつけてきた傾向がある。

幸せそうな家族を見て、あれは私がいい子じゃないから手に入らなかったのだと責めて諦めていた。


でも、過去の辛かったことを、やっぱり私は何だかんだ言いながら、辛かったし悲しかったし怖かったし、誰かに慰めてほしかった。

そう思ったら妙に落ち着いて、本音に向き合ってみるのも悪くないように思えた。



私の過去、可哀想でしょ?…という自己憐憫やアピールというよりは、ずっと冷めていて淡々とした気持ち。


父の日は、自分と向き合う日、という位置づけにいつの間にか私の中ではなったのかもしれない。



※そういえば2年前にも似たようなことを書いていた。





この前美術館で撮影した、豆腐の角に頭をぶつけているプリン。

お互いに脆いから、おそるおそる、そーっとくっついている様子が、かわいい。