遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

運動会〜思い出を塗りかえる

昨日は子どもたちの小学校の運動会だった。

一昨日はそこそこ雨が降ったので開催が危ぶまれていたが、どうにか晴れて、予定どおり。

綱引きのときに使う軍手を忘れて担任にめちゃくちゃ怒られたという次男は、朝は泣いた形跡があり元気がなかったが、途中からは楽しそうにしていた。

長男は係の仕事も頑張っていた。
順位はオマケではあるが、5年目にして初めて徒競走で1位になっていた。
あと、ずっと長男の横を代わる代わる離れない女子が2人いた。
あの子達はどういう関係…?と内心ハラハラしつつも、終始楽しそうにしていたので、息子がそのくらい良いヤツとして認定されているなら良いか、と、微笑ましく見守った。



…子どもたちが頑張る姿は、純粋に嬉しくてかわいいし誇らしい。
それと同時に、私の子どもの頃の苦い記憶を塗りかえてくれるような気がして、毎回救われる思いもある。


前にも書いたが、父方の祖父母は「毒祖父母」だった。

両親が離婚してなお、「跡取り」として私を連れ戻すべく突然車に乗せようとしたり、現金書留で大量のお小遣いを送り付けてきたり、進学校へ行ったと聞きつけて高校の頃帰り道を尾行されたり。
とにかくしつこく色々されていた。

父にやめるよう言ってもダメ。
母は怯えて陰に隠れてしまい…。

下のきょうだいを守るために、矢面に立ち続けたのは私だった。

そんな感じで当時されたことの中でダントツで一番嫌だったのが、「喪服で運動会に来られたこと」だった。

最悪の嫌がらせだった。

喪服に黒い日傘の老夫婦。
晴れて楽しい運動会の活気の中、明らかに異色。

やめてくださいと言っても「まーちゃんがうちの子になってくれるなら、着替えてくるよ(^^)」と言うばかり。

先生たちは忙しくて気づかない。
居合わせた他の子や親は関わりたくないから遠巻きに見ている。

親にバレたら親が悲しむ。

黙って耐えた。

あとはひたすら走った。運動会だし、とにかく出番に集中して無視してやる!と。

しびれを切らして近くに歩いてきた祖父に「誰?」と言い放って、係の仕事のために猛ダッシュで校舎へ入った。

そうしているうち黒い服が暑くなってきたのか、それともヤバい奴として通報されたのか、気づいたらいなくなっていた。

いなくなった安堵感で、こっそり泣いた。



…そんな嫌で嫌で仕方ない思い出が、運動会というキーワードとセットで、ずーっと心のなかでくすぶっていた。

でも、私の子どもたちは、毎年、運動会でそんな風に邪魔が入ることもなく、「普通に」楽しく頑張っている。
(コロナ禍で従来より短縮するという別の邪魔は入っているが)


そして私は、毎年毎年、心のなかで安堵する。


…負の連鎖は、私で断ち切った。
私1人しかいない、私も離婚してしまって彼らにも父親がいない、というのは、私の力不足かもしれないけれど、それでも…出来るだけ彼らに心のキズを増やさないように、穏やかに、と心を砕いてきた努力は、きちんと生きているんだと信じたい。


そして叶うなら、小さい頃の私にも伝えたい。

ずっとずっと未来で、我が子の運動会を幸せに眺める日が来るんだよ、大丈夫、大丈夫、と。