遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

週末の約束をきっかけに

月末に彼が関東方面へ出張することになった。

もしもあちこち行く中でコロナにかかって、まーさんたちにうつしてしまったら申し訳ないから、出張から戻ってしばらくは会えないです、と連絡が来た。


気を遣ってくれてありがたいなぁ…でも少し寂しいから会う約束をしたい、けれど、それはわがままかなぁ、言うのは違うかな、と思い、

気遣ってくれてありがとう。
出張だと疲れも出るだろうから仕方ないよね。
体には気をつけて元気で行ってきてね。

…というようなことを返した。


そうしたら、返事が来た。


しばらく会えなくなるのは仕方ないけど何だか寂しい。だから、次の土日はまた、まーさんたちと過ごせたら嬉しい、会いに行っても良いですか、と。



……
………



…嬉しかった。

いろんなことを気遣ってくれていることも、会いたいと思ってくれることも、私「たち」、つまり子どもたちも含まれていることも。




どちらかというと虐げられて裏切られて邪魔にされて、良いように使われることが多かったこれまでの私なので、ここ最近、↑のような何気ない、裏表ないやり取りが、泣きたくなるほど震えるほど嬉しいときがある。




小さい頃は父方の祖父母にイライラをぶつけられて殴られたこともある。逆に溺愛モードで過剰に甘やかされた時期もある。甘いものを食べさせてやる、と、何故か食事すべてに砂糖をかけられたりもした。


両親が離婚したあとは、母と妹弟との暮らしで、しっかりしなきゃと頑張った。
しかし不機嫌なときの母に「あなたのお父さんと結婚しなければもっと幸せだったかもしれない」と言われ、疎遠になった父には、別れ際に「欲しかったのはお前のお母さんじゃなく好きな人の子だ、お前じゃない」と言われた。
自分の存在意義がわからなくなった結果、意味を見出すべくひたすら勉強したが、塾に行かずに全国模試の順位に名を連ねても、作文で賞状をもらっても、手放しで褒める人は…いなかったかもしれない。


大きくなってからは、他人との距離感が分からなくて、過剰に尽くして疎ましがられてしまったり、善悪の価値観を見失って自己肯定感が底辺まで下がり、結局1回目の結婚は失敗した。


私のそばにいてくれる子どもたちだけが、生きる力で心の支えで。
でも、子どもたちがいることで生じる人間関係も、少し距離を取って、ひたすら邪魔にならないように、と無意識に深入りを避けてきた。


子どもたちの「お母さん大好き」も、時々素直に受け止められずにいた。
けれど、私の過去のせいで子どもたちに何かを連鎖させるのは嫌だった。

手放しで受け止めたくて、これまでの10年の中で少しずつ、少しずつ意識して、言葉をありのまま受け止められるようになってきてはいた。


以前の私なら、疑って勘ぐって、こじれた気持ちでいたかもしれない。



子どもたちや彼がいてくれることで、私は、少しずつ、やっと、昔の苦い気持ちを手放せそうな気がしている。

自分が幸せだなぁと思う気持ちを、否定しないであげられるかもしれない。


色々言っても、結局そんなんただの惚気だと言われてしまえばそうかもしれないけれど(そう感じる人がいたら、ホントにすみません)


私にとっては、結構一大事な気がしている。