遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

日曜日の夕方は寂しい

最近、彼のことばっかり折に触れて書いていて何だか少し申し訳ないけれど、子どもたちのことと絡めて文字にすることで、私の中で頭を整理している部分もあるから、書く。



今週も土日が終わろうとしている。


彼が来たときつぼみがふくらみだしたハイビスカスが、帰るときにはすっかり花開いた。


基本的に用事のない休日は、彼がうちに来て過ごして、泊まっていく。
彼を車で15分ほど離れたアパートに迎えに行き、また送っていく。
平日は、遠くで姿を目にするし、食堂では顔を合わせるけれど、基本的に挨拶と最低限の会話以外は、電話かラインだけ。


子どもたちも含めて4人の休日がぴったり同じタイミングなので、お互いに暇ならば毎回会うし、忙しければ会えない、そういうスタンス。

基本は毎週会えるから、平日は全く会えなくても仕方ない。
時々半月やひと月会えなくてもまぁ仕方ない、ってわかっている。


でも。

迎えに行くときは、とても嬉しい。

送っていくときは、とても寂しい。

毎回、これを最後に数年会えないのではないかと思うくらい、寂しい。
そこまで思わなくても、いいのに。


何年も一人で色んなものに向き合ってきたから気づかなかったけれど、心から頼れる大人が横にいるというのは、やはり違う。

いなくなったときに、急に心許なくなってしまう。
一人のときはそれなりにやれていたくせに。



子どもたちがいる前ではお母さんでいるから、子どもたちの目の前で彼と恋人らしい振る舞いをすることはない。


子どもたち、とりわけ長男には、「○○くん(彼)は母さんの大事な人で大好きなんだけれど、母さんにとってあなたたちは絶対に大切。だから、母さんと○○くんだけ幸せじゃダメで、あなたたちも含めて4人で楽しくありたいんだよ」と伝えている。

どこまで理解しているかはわからないが、割と4人だと楽しく過ごせているし、子どもたちも彼が帰るときは「次はいつ会える?また遊ぼう!」「今度は○○(遊びだったりお出かけだったり)をしよう!」と言い合っている。

だから、少しはこちらの意図が伝わっているのではないか。


一方で少し不安にも思う。

このままの日々を繰り返すうちに、私は彼にとってもお母さん的な存在になってしまうのではないか?

恋人だもの、可愛くありたいし、甘えたいときもあるし、リードされて後ろをついていきたいときも、誰にも邪魔されないで彼だけ見ていたいときもある。

でもそれをするのは、何だか勇気がいる。

母としての責任感が絶対に脳裏をよぎるから。


そういう気持ちが心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って、定期的に悩んでしまう。考え込んでしまう。



それらを隠さず彼にも伝えてしまうけれど、嫌な顔をしないで聞いてはくれる。


まぁ、先のことは正直分からないけれど、今はとても幸せだよ。だから大丈夫。
考え過ぎて、目の前の嬉しいこと楽しいことを見落としてしまわないでいきましょう。

そう結論が出る。


どうも完璧主義なところがある私は、同じところをいつもグルグル回って、どうしようどうしよう、上手くやろう、悪いことが起きないようにしよう、と悩みがちだが、結局また朝が来て、夜が来てを繰り返す中で、どうにかこうにか、また前を向く。

また、月曜日がやってくる。