前にも書いたかもしれないこと。
昼間、職場でトイレに入ったら、トイレットペーパーが残り3センチくらい、ぶら下がっていた。
その3センチを絶妙に残す技術もすごいなぁと思うけれど、その3センチから、
「何としても私はトイレットペーパーを交換しません」
という強い意思を感じた。
当人はそこまでの強い想いなど無いのかもしれないが、残されたこちら側からしたら、「これしか無いなら、使い切って交換してよー!」と思ってしまう。
渋々さりげなくトイレットペーパーの芯と新品を交換するのだが、こういう時、「私、小さな親切をしている…!」と、得を積んでいるような気持ちになり、ささやかに己を褒める。
それにしても、どうやったら、たった3センチだけを残してトイレットペーパーを切り取れるのだろう。
…何て、ちまちま考えている時点で、己の狭量な心に気づいて、さっき積んだ得と相殺、もしくは狭量が上回る気分になる。
この現象を、「トイレットペーパーチキンレース」とこっそり呼び、年に数回遭遇した時に、同じような思考回路を辿るのだった。