数日前のこと。
たまに買い物をする某通販会社から、この前送ったカタログ冊子に不適切な画像があったので回収します、とメールが届いていた。
そのカタログは後で読もうと思いリビングに置きっぱなしだったことを思い出して、夜に眺めてみた。
どの画像、というのはメールには何も言及されていなかったけれど、欧米諸国の歴史や言語をかじっていた昔の知識から、すぐに理由が分かった。
モデルさんがにっこり微笑みながら持っていた小道具の洋書だろう、と思った。
表紙の単語からイタリアかドイツのことばだろうと思ったところで、さらにある程度察しがつき、きちんと単語を調べてさらに納得した。
…一昔前ならもしかしたら今より咎められなかったかもしれないが、コンプラなどなど厳しくなったことに加えて現在の世界の情勢を思うと間が悪いというか何というか…
だからといって不買だ!とか怒ることはしないし、近々また買い物する予定もあったし、この件について過剰に何らかの感情を抱いてはいないけれど、とにかく一言言うならば、
無知は時に恐ろしい
ということだろうか。
何かを「知らない」ということは恥ずかしいことではないけれど、「知ろうとしない」「己の無知にに気づけない」というのは似て非なるもの。
雰囲気だけ、うわべだけ良くしたって、失敗したりボロが出たりする。
要は、知らないことを知ろうとする気持ちは大切だし、自分自身、独りよがりにならないようにすることも、同じように大切だ、ということなんだと思う。