遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

学ぶためにはお金がかかった、という話。

前回から続いて、お金の話。


学生時代、奨学金をいくつか借りた。

高校でも大学でも、複数の奨学金を申請したので、実は社会人になった直後から多重債務者だった(苦笑)。

しかし、一定の成績を維持すれば返済不要になる奨学金もあったので、必死で勉強してそれらはありがたく頂戴して、お礼の手紙を書いたっけ。


返さなければならないものも、我が家はとても貧乏だったので、ほぼ全て無利息だったのはありがたかった。

24時間テレビのマラソンランナーの兼近さんは相当苦しい生活の幼少期だったと放送で紹介されていたが、そこまででは無いにしろ、母子家庭で下のきょうだいが二人いる我が家も苦しかった。
父親は恋人と再婚してしまい、養育費はピタリと止まってしまったらしい。
私は、「お姉ちゃん」として少しでも負担を減らしたいと子どもながらに思っていた。


ただ、当時の私は、貧困は連鎖する、だから勉強しなければ、上へ行かなければと感覚的に思っていた。
経済的に苦しくて学校に通えないかも、中卒か高卒で働こうかな、とも思ったこともあったけれど、それでは精一杯の辛い日々から抜け出せないかもしれない。

それならば、未来の私に頑張ってもらってでも、子どものうちに勉強して知識や力をつけて、せめて自分で自分を養いつつ、少し余白が出来るようなささやかでも穏やかな生活を送れるようにしたい!と、当時中3の私は一念発起した。


片っ端から奨学金を調べつつ、塾に行かず成績を上げるべく図書館で本を読み、一番調子が良いときで学年1位、さらに県の模試で最高で30番に入った。
あの時ほど勉強したことは、後にも先にもない。


そして、高校受験で志望校に受かった。

その後もお金をかけず勉強して大学に行く方法を模索しつつ、3年間勉強や部活を頑張り、大学も何とか希望通りに進学できた。


塾に通わず独自で工夫して勉強したスキルを生かして、大学の頃は結構やり手の家庭教師としてバイト代を稼いだのは、予定外の副産物。



…と、美談のようにダラダラ書いたが、20代でやってきた奨学金の返済は地獄だった。
一時期本当にキツくて辛くて、貯金もままならず、リアル奨学金貧乏な時期があった。


それでも、仕事で資格を取ったり、勤続年数が上がって能力給が上がったりしつつ、下の子どもが年少くらいまで成長した30代になったころから、少しずつ少しずつ完済する奨学金が出てきて、急に楽になった。


そして今は残り2つ。
長いものであと6年くらいで全て返し終わる予定。

何とも長い戦いだけれど、学生時代を希望通りに暮らせたので後悔していない。

学生時代、親に定期的な仕送りをしてもらわずに暮らしていけたし。もちろん、知らないところで親をはじめとして、色んな人に助けられていたのだろうけれど。


少しは親孝行だった、だろうか。



色んなことが今の私を作っている。
こうして振り返るとそう思う。


私の息子たちには、そこまでの苦労はさせたくないが、それでも、何の苦労もなく思い通りの進路を、というのは、シングルマザーな私には難しいかもしれない。

何となく進学して何となく辞める、みたいなのをされるのも嫌だ。

だから、彼らにも少しは慎ましい金銭感覚や、自分で自分を生かしていくための環境を、親としては整えてやりたいと、思う。