遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

向き合う過去

落雷が怖い。強雨が怖い。

発雷確率を調べて行動の予定を何となく立ててしまう日々になり、7年くらいは経つだろうか。

そうじゃなかった頃もあったはずなのに、どうして。

…いつも、自己嫌悪。
でも、「怖いものは誰にでもある」「怖くていいのだ」と思える比率も上がって、以前より生きやすくなった。

アルピニスト野口健さんも言っていた。「怖いという気持ちは生きるために大事だ」と。

さて、いつからこうなってしまったのか。
何が、きっかけだったのか。
俯瞰したら、何か見えるのか。
怖いけれど、殴り書きしてみる。



過去。
怖くなった理由。

振り返るといくつかあるかもしれない。


1つは震災。

次の日は、突然来なくなるかもしれないという衝撃。


翌年に生まれた長男。さらに2年後に生まれた次男。次男に関しては、妊娠6か月にさしかかるところで切迫早産になりかけて3か月寝たきりで。何度も何度も危なくなって。

私がどんなに頑張っても、手からすり抜けて消えてしまうかもしれない怖さと闘う中で、「怖い」という気持ちが、昔より大きく、輪郭を持って心に居座るようになった。

その後、次男は無事に生まれてきてくれた。

無事に生まれてくれた命、今度は外から、守らなきゃ。

お金も稼がなきゃ。
お前だけ休んで羨ましいと言う元夫には期待するのをやめて、産後3か月で仕事に戻った。


その数か月後。
長男が2歳の時。
仕事を休み、高熱で寝込む長男を看病していたら、突然のゲリラ豪雨
容赦ない落雷と、一気に増える川の水。
熱で泣く長男。
次男は保育園。迎えに行かなくては。
当時の夫は「子どもになにかあったらお前の責任だからな。」とふざけて言い、雨の中出かけていった。

どうしよう。

守れない。

私1人で何が出来る?

大きな力に、勝てない。
自然、天災、その他の予想外のこと。

私は、守れない。

勝てない。

何も出来ない。

怖い。怖い。怖い。


…この怖さはいつ来て、いつ去っていく?

頼みの綱が、天気予報。落雷情報。

助けて。
教えて。
…大丈夫だと言って。
…誰か、誰か横にいて。
お願いだから大丈夫だと言って。


その日以来、と断言できるほど明確ではなかったが、だいたいその頃から心のバランスを大きく崩した。


産後無理したせいで、産後うつになったのも追い打ちをかけたのだと思う。



雨が怖すぎて、カレーライスを作るのに3日かかったことがある。
野菜を切り
炒めて
ルーを入れる
…毎晩1日ずつ、途中まで作って冷蔵庫にしまっては出しを繰り返してやっと出来上がったカレーは、子どもたちは喜んだが、私はあまり味を感じなかった。



周りのみんなは私の「怖い」がピンと来なくて、私だけが焦っていて。

それにもっと焦る。


どんな約束も、雨や雷のせいですっぽかしたり遅刻したりして自己嫌悪になり、明日なんか来なくていいと泣いてばっかりで。

こうなったのは私が弱いから。


小さい頃から歪な家庭環境を、時には道化になって、時には勉強して少しずつ賢くなって守ってきた、大分強くなったはずなのに、何故大人になって、一気に弱くなってしまったのか。


これまでの私は、何だったの?
何が足りなかったの?

弱った自分を認められなかった。


離婚して、1人になるのはほんの少し怖かった。
でも、しないと、私は完全に壊れると思った。

調停を繰り返した結果、離婚は成立して、子どもたちと3人の暮らしになり、ほんの少し雨や雷への恐怖は減った。

子どもたちは大きくなり、「雨も雷もちっとも怖くないよ」「どうしても怖い時はカーテン閉めるから、それでもダメなら横にいる、テレビを見よう」と言ってくれる。

私より背が伸びて、抱き上げて逃げなくて良い。
2人を抱えて逃げる腕が、私の2本じゃ足りないと、頭を抱えなくて良い。今では、彼ら…特に長男は、私より早く颯爽と走っていく。


彼は「雷雨なんて止むのを待つしかないでしょ」と数日前に冷たく言っていたけど、子どもたちや妹、母親、友人が、大丈夫と言って、私の怖さを受け止めてくれる。

…何ごとも永遠はなくて、よくも悪くも変わっていくし、私の周りの大切な人も変わっていく。

落ち着け私。

ここ数日の雷雨の可能性に少し怯えて、勢いだけで書いてしまった。
忙しいから、雷雨でも頑張らないといけない。それが少し今は辛い。


…思うがまま書いたから、意味不明かもしれない。