遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

少数派だからこそ負けたくない

最近、職場の上層部の人たちが、こそこそと繰り返し会議をしている。

私はまだまだ下っ端だけれど、そういう空気を読む力は、社会人経験を積む中でまあまあ身についてきているので、これは、近日中に、何かがあるのだろう、と思う。大きな変化が。


迷走する職場の方針に異を唱えてどんどん人が退職していく時期が続いて、辞めていく人たちをたくさん見送った。

「残った人間はろくでもない奴らと思われていたらいやだなぁ」、とか、「新しく踏み出せない自分は意気地無しなのかな」とか思っていたけれど、永遠に今のメンバーで同じ仕事を日々続けていくなんてことはあり得ないわけだから、「とりあえず耐える」「時期を伺う」のもまた、一つの生き方で選択肢なのだと、割り切ることにした。


圧倒的に男性ばかりの職場。

独身時代は、12/26のクリスマスケーキになるなよ、と急かされ、
結婚したら、妊活は企画書を出してから、妊娠は上司の決裁を受けてから、とからかわれ、
3人目が出来たら空気読んでやめろと言われ、

それでも聞こえないふりをして、楽しく暮らすためにお金を得るのが仕事の目的と割り切った時期もあった。

それらを全て通り過ぎたら、リモートワークにも寛容で、シングルマザーでもリーダーをやれる位置に立っていたし、かつてひどくからかってきた人たちはほとんど定年退職していった。


女性、子持ち、シングルマザー…職場で少数派な要素ばかり持つ立場なのは相変わらずだけれど、分かってくれる同僚や上司も少なからずいて、前のように、からかわれっぱなしの弱い私でもなくなりつつある。

今のところ、職場の変化の兆しは、まだ不確実な「予感」でしかないけれど、職場に限らず、社会や時代や色んなことが変わっていく中で、自分は自分だ、と、芯を持って凛と立っていられるようでありたいなぁと、改めて思った。

コロナ禍の剣道

昨日は非常にバタバタしていたので、長男の剣道の稽古に少し遅れてしまった。

剣道をするときは、不織布マスクはNGと言われているのに、うっかり忘れて不織布マスクで出かけてしまった。

会社や学校は不織布マスクじゃなきゃダメで、剣道は熱中症予防で布マスク。

しかも、顔にフィットしすぎないものを、と。
なので、農作業用の、首まで垂れ下がるタイプのマスクを普段はしている。


面の中にアイガードとマウスガードの樹脂ボードをはめているので、きっと息苦しいのだろう。


まだ真夏じゃないし1回くらいどうにかなるかなぁと思ったけれど、やはりそうもいかず…先生が1枚新品の布マスクをくれた。申し訳なかったなぁと思う。
忙しさにかまけて手を抜くと良いことがないなと反省。


それにしても梅雨から夏場の剣道の稽古は暑い。
見ている方も暑いけれど、やる方はもっとだろう。



ということで、夏用の薄手の道着を買った。

少しは涼しいと良いのだが。


大会用の道着は結構重たいので、軽い道着で練習して本番でしんどかったら可哀想なのか?、いやいや、スパルタしすぎるのは時代に合わない…?など、あれこれ試行錯誤している。



コロナ禍はまだおさまらないが、この前、長男は初めて団体戦のメンバーで大会に出てきた。

速攻で負けてくるかと思ったのだが、出た試合は全て、制限時間の2分間で一本も取られず戻ってきた。逆に一本も取れなかったので、全て引き分けだが。

残心がもう少ししっかり取れていたらきっと二本くらい入った気がするが、そこはこれから。

まずは精一杯、チームの勝ち上がりに貢献(負けずに踏みとどまった)できたことを褒めたいと思った。

カタカナに弱い息子たち

かなり前にも確か、息子たちがうろ覚えでカタカナ用語を言うものの、割と間違っている、というエピソードを書いた気がするが、未だにやらかしてしまうことがある。笑


ラズベリー→ズラベリー

トリニダードトバゴ→トリニタートタマゴ

などなどきりが無い。


ズラベリーは、スーパーのレジで言い出したのだが、近くの年輩の男性にぎょっとされてしまった。


トリニタートタマゴに関して言えば、耳でことばだけ聞いたとき、何を言い出したのだろう?と思った。タマゴ?親子丼の話?みたいな。まさかの国名とは。


そんな彼らなのだが、この前、次男が私のスマホ(Android)に向かって、突如何か話しかけていた。

「ヘイ!シリクサ!」


?!?!?!


わけが分からなかったが、とりあえず丁寧に分析してみた。

その結果…
Siri(シリ)
と、
Alexa(アレクサ)
が、
良くも悪くもごっちゃになってしまったらしいという結論に至った。

そしてその仮説は正解だった。
「アレ」はどこへ消えたのか。


うーむ。出来れば外では言ってほしくない、混ぜるな危険な単語だ…。


しかし本人は大真面目なのだ。
それにしても、一昔前には無かった言い間違いで、時代を感じる。



息子たちの思考回路をある程度すんなり理解出来るようになったなんて、親として少しレベルアップ…した…ということ…か…?

学び続けたい


大学時代の専攻は、ロシア語メインの社会言語学だった。

ロシア語を勉強し、違いが面白くてウクライナ語も少しかじった。


その時は今よりもっと貪欲な学習意欲があった私は、英語の教員免許を取り、中学校の英語の先生も目指していた。

でも、色々あって中学校教員の道は断念した。

代わりに、ロシアやウクライナのことは、おそらく当時通っていた大学の中では誰よりも一番勉強したんじゃないかと思う。


もともとは、小学生の頃に、チェルノブイリ原発事故で健康被害に遭った同じくらいの年齢の人たちがたまたま来日、来県していたときの交流がきっかけだった。


そして、手紙を書きたいと住所を聞いたのに、ロシア語もウクライナ語も分からなくて、ついに出せなかった悔しさから、ロシア語を勉強しようと思った。


当時は本も無く、祖父の知人でかつて戦時中にシベリアにいたという人から簡単なフレーズを学ぶだけだったが。


そうしているうちに、言葉という存在、あり方、歴史、音の響き…たくさんのことに面白さを感じた。


英語もそうだけれど、日本語以外の、別な言葉を話す誰かと、笑顔でやり取りができることの喜びは大きくて、嬉しくて、今もまた学び続けたいと思っている。


ちょうど図書館に行ったら、ウクライナ語の本があったので、借りてみた。
ウクライナ語も気軽にテキストが入手できるようになったなんて、時代は変わったのだなぁと思った。


ロシア語のテキストや辞書は、私の本棚に大学時代のものがたくさんあり、忙しさにかまけて知識を忘れかけている最近でも、たまに開いて眺めるとワクワクする。

長男もたまに読んでいるみたいだ。

世界の出来事は日々見聞きするのが辛いこともたくさん起きているが、だからといって、関係するもの派生するもの全てを憎むことはできないような気がする。自分自身で、考えて見極めなくては。


これからも学び続けたい。

好きで学ぶこの気持ちが、どこかで役に立てばいいな、と思う。

今週のお題「本棚の中身」

雷恐怖症シーズン…

今日は朝から蒸し暑い。

昼にはいきなり暗くなり強い雨が降り出してきた。

ここ最近調子が良かったのだけれど、今日はちょっと心の中は荒れた。雨が上がると、嘘みたいに普通に戻ったのだが。

なぜなら極度の雷恐怖症だから。雨も怖い。

昨年、そのせいで会議を中座したり、窓がない部屋に行ってピークが過ぎるまで仕事や家事が出来るように、1日の段取りを朝の天気予報次第で組み替えたりと、何とも情けない姿を度々周囲に晒した。

でも、ふと気付いた。ピーク時より、確実にその恐怖感やパニックの振れ幅が小さくなっている、ということを。


これら恐怖感は次男を産んで少ししてから急速に悪化して、ピークだった5、6年くらい前は、外出すらままならないくらい天気に心を左右されて、文字通りパニックで右往左往した。

一種の産後うつみたいなものだったのだと今となっては思う部分もある。
そう考えると、産後ってやっぱり大切だ、ともつくづく思う。

元夫との関係も非常に悪かったので(良い家族だと思っていたのは先方だけだったのだ)、思い出したくない色々が全て雷雨と共に思い起こされる。

当時はあまりにも生きるのがしんどかったので、心療内科にも通った。

そうして、何年も何年も薬を強弱調整しながら飲みつつ、生活環境も離婚やら転居やらで変わった今。

多分子どもが生まれてからの日々の中では一番穏やかに暮らせている気がするので、心の嵐も小康状態になっているのだと、思う。


これから、夏が来て、ゲリラ豪雨、雷雨が度々来るシーズンになる。

そうなったとき、私の心はこのまま小康状態でいられるのか、それともぶり返すのか…

その答えを考えることもぶり返すきっかけになるのだと、最近少し学習したので、先のことはあまり考えないように心がけたい。

そんなことを思案しつつも、アイスクリームはやはり美味しかった。

レバーの唐揚げ


もらい物のレバーの唐揚げを揚げてみた。

揚げたては美味。
少し冷めるとクセが出るが、やはり美味。


仕事でお世話になっている人から、半年に一度くらい、ささやかなプレゼント?というか、その先の営業?というか、そんな感じで、ラベルのない肉をもらうことがある。

レシピも何もないので手探りで、こう……?かな……?と悩みながら調理するが、ほぼほぼ美味しい。

たまにものすごく「???」な時もあったが、きっと試作品だったのだろう。


食べものはそれで無駄にならないし、こちらは楽しいし、WinWinだと思っている。


ここしばらく、子どもの学校だったり学童だったりが閉鎖しては復活してを繰り返したので、在宅勤務も混ぜながら家にいる時間が長かったが、それはそれで楽しんでいた。やはり落ち着く。我が家。


そういえば。家を買ったことを書いた記事がはてブさんで紹介されていたことにびっくり。
ものすごーくベタな記事を書いたなぁと思っていたので、予想外に嬉しかった。

当時の営業さんは、新社会人1年生、我が家が契約1軒目のお兄さんだったから、社会人のマナーも時々教えてあげたっけ。
そんな営業さん、2年目になり突然やめてしまって、悲しかったなぁ…。


何はともあれ、ありがとうございます。

https://blog.hatenablog.com/entry/2022/06/17/180000


そして、今回を機に読者になってくださった方も、それ以前から読者の方もありがとうございます。
2日に1度、出来れば毎日更新を目指していますが、ここ最近身近で遅まきながらコロナが流行っているので、てんやわんやしていたら更新が若干滞りますが、どうぞよろしくお願いします。

ハチクノイキオイ

近所の竹林。
タケノコが、毎日見る度ににょっきにょき伸びていて、これぞまさに破竹の勢いだなーと思っている。

近くにはドクダミが生えており、さらにはシロツメクサも生えていて、生命力が強靱な植物の、血で血を洗う(実際には血はないけれど)縄張り争いを日々眺めるのが日課になってしまった。

タケノコは土地の持ち主が定期的に刈っているらしいけれど、3日もすればまたにょっきにょき。

細めのタケノコたちがアスファルトの部分にも侵食してきて、アスファルト?んなもん知るか!といわんばかりに突き破っていた。


子どもたちもそれが気になるらしく、オレもあのくらいのスピードででかくなりたいなーと言うのだが…

大人になった身としては、子どもの立場を思い切りゆっくり楽しんだら良いじゃん、と思う。



ちなみに、竹は、数十年に一度しか花を咲かせないのだとか。
花を咲かせると、その後一斉に枯れてしまい、再生するまでそれなりの時間を要する。

なので、竹が枯れるのは不吉なことが起きる予兆なのだと亡くなった祖母は言っていた。

岩手の北部の町で竹が枯れたニュースを聞いたのが令和元年ごろ。
何かかなり大変なことが起きるのでは、と祖母が静かに言っていたその翌年、コロナ禍。

…果たして偶然だったのか、それとも…。

いずれは枯れて再生してを繰り返す定めではあるので、たまたまだった、と思うようにしている。