遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

先生と子どもたちと私と

次男の「反省文」を貼り出されたという出来事は、結果的には誤解や行き違いがあり、先生に息子が無理矢理書かされたわけではないことが分かった。

日頃から叱られている次男が、ひらがなの練習のときに、自ら思いついて書いて「ぼく、これを守るから!」と宣言したから、おお分かった!じゃあ見えるところに貼っておこう!ということで貼った、とのこと。

だけど、結果的にはそれがみんなに見えるところに、しかも、子どもたちが悪いことをしたときに見る、「やってはいけないこと」リストの真下に貼り出してしまったので、他の親子から「反省文」認定されてしまった、とのこと。


そして私が事情を上手く把握できずに他の親子からのことばや息子からの情報だけでどんどん思い詰めてしまい、今回に至った。


こちらとしても園長先生に手紙を書く前にもう少し丁寧に聞けば良かったのだが……ここ最近煮詰まり気味の私自身の「うちの息子はダメな子だ」という負い目というか劣等感というか、そういう気持ちがフィルターをかけて、いつもより考えなしに突っ走ってしまった。


こちらが突っ走ったことは上の通りに正直に話して謝りつつ、先生がたに、こちらが恐縮するほどに丁寧に謝っていただいたのも全部聞いて素直に納得して、無事解決した。安心した。


やはりトゲトゲした関係は居心地が悪いので、早めに話が出来て良かったなぁと思った。



我が家の子どもたちはどうやら、少々クセの強い子どものようだということが、進級するとともに分かってきた。

その「クセの強さ」のベクトルは兄弟で異なっていて、一言で言うなら、兄=静、弟=動、という感じだ。


兄の方は、特定の体育の種目がまるきり出来ない。
鉄棒、マットのような全身運動が特にダメ。
体の力を抜くことがどうにも苦手らしい。


弟は、話を聞かずに突進したり、自分の世界に没入しがちである。
何でも躊躇なくチャレンジするからか、割と苦手なことは少ないが、「嫌いなこと」や「根拠なく怖いもの」がいくつかあり、我慢できないことがある。




今どきは、「発達障害」を前提として、「困りごと」を潰していくという教育方針を取ることが多いらしい。

だから、まあ、彼らのそういう「困りごと」は、言いかえたら「個性のひとつ」なのかもしれない。

普段はあまり気にせず、よそとも比べず、「誰が何と言おうとうちの子にはうちの子の良さがあるさ」という感じで接している。


とはいえ、「お宅のお子さんは支援児として接していきます」などと言われるのは、何とも親としては複雑だ。



何かのはずみで、どことなく「うちの子は違うんじゃないか」とか「変なんじゃないか」とか思い始めると、負のスパイラルに入って、私自身が子どもを素直に可愛いとか守ろうとか思えなくなる。


そういうとき、そこから引きずり出してくれる身内の誰かが私には近くにいない。
…となると、そうなったときに子どもの良さに気付かせてくれる一番近い存在は学校や保育園の先生だと思う。


子どもたちのためにも、先生との関係は大切なので、時々行き違いがあったとしてもちゃんと話をしつつ、お願いしたり支えてもらったりしながら、良好でありたいと思う。


1つモヤモヤが晴れて良かった。