遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

私、しょげる。長男、怒る。

昨日は息子たちの学習発表会だった。

息子たちの小学校は、遠くもなく近くもない距離なので、これまでの行事はすべて徒歩で行くようにしていた。

駐車場が、入るのは容易だが出る時に角度きつめのS字クランクを通り、失敗すると田んぼに落ちてしまうという、難易度高めの出口だからである。

でも、骨折した足を思うと近くには行きたい。
そう思い、駐車場へ行ってみたが満車。
しぶしぶ遠い駐車場に停め、十分ほど歩いた。



その後、保護者が胸にぶら下げていないと学校に入れないカードを忘れてしまったので、初めから見ることを諦めて車に戻り、次男の出番の1つ前くらいで幕間に入った。


次男の出番、長男の出番と、それぞれを見届けた。

息子たちを最前列で見る、という程の気合はなかったので、後ろの方から、撮影しながらゆっくり見た。うん。成長している。


そして、いつも思ってしまう劣等感のような、黒い気持ちを、我ながらひどく反省して、しょげる。
私は1人で息子たちを見ているが、大半の家庭は、夫婦で、祖父母も、あるいは小さな弟妹も連れて、楽しそうにしている。

よそのお母さんの、公式な場でも表面に出せる「愛されています」「幸せな家庭です」オーラに、内心ものすごい複雑な思いを抱えている自分に気付かされて、自分で自分を大嫌いになる。

そんなの、無くたっていいじゃん、元々小さい頃から愛情など乏しい私なので、そもそも無いのが私にとっては当たり前じゃん。と分かってはいるのだが。
どういう徳を積んだら、私もあっち側の人になれるのだろう、という、闇の底から湧き上がる嫌な自分を再確認してしまうのもまた、子どもの学校行事には付き物なのだ。


しかし、それにばかり浸って闇堕ちするのはもったいないので、気を取り直して、息子たちの頑張り、感動に思いを巡らす。


そうして帰宅しようとしたら、急な土砂降りの雨。

まだ痛い足をひきずり、駐車場へ歩いた。

帰宅後の長男に、「かあさん、今日は歩いてきたの?」と訊かれ、「近い駐車場が満車だったから遠くに停めて歩いたよ」と答えた。


すると、「他のお母さんたち、近いなら歩いてきてって手紙が来てたのに、すごい近くの人も車で来てた、何で優しくないの?足痛い人とかお腹大きな人とかに譲らないなんてひどくない?」「大人数で来て席取って騒いでさ、見ないなら来なくて良くない?」と何故かやたら怒っていた。

…長男が何故そんなにそこに憤ったのかは分からないが、無理して歩いて腫れがぶり返していた私の足を見てなのか、他に学校で何かがあったのか…どうもイライラしたらしい。


一方、上手く出番を終えられた安堵感からかニコニコだった次男は、若干ぐしゃっとなりつつも、湿布を貼ってくれた。

ぶっきらぼうだが優しい息子たちがいて、良かったなぁ、と思った土曜の夜だった。