ここ最近雨があまり降らない岩手県。
スポット的に雷雨になったり雨が降ったりはしているものの、まとまった雨がない。
一部地域では水不足で田んぼの水を分水しているというのを聞くと心配になる。
沖縄では雨がたくさん降っているらしいのに。
世の中はつくづくうまくいかないものだ。
私にとっては、雨が降らない予報は心の安定につながる。雷雨が心配とニュースで聞くと、どうしても気になってしまうのだ。
だけど、私の心の安寧は誰かにとって悩みの種なのだと思うと、手放しで安心していられないような気がしてきてしまった。
「まーさん、それは優しすぎるでしょう!気にしすぎというか、素直に安心しておきなさいよ!」と同僚に言われたが、やはり何だかモヤモヤ心配してしまう。
いつもは雨マークがないと嬉しいのに、当面晴れマークしかない週間予報に心を痛めて、でも、雨は降ってほしくないような、少し降った方が良いような、複雑な気持ち。
雷さえ鳴らなければ、ある程度は我慢できる。
話は変わるが、スポ少でとにかく仕切りたがる怒鳴り散らすよその親に対して、快い気持ちを持てずにいたのだが、その家の人たちがここ最近全然来ない。
いつもどんなにきつく怒鳴られても動けない子どもたちが、怒鳴り声がなくなったら割としっかり動けている。なんという皮肉。
そして、「今日も休みなんだ、良かった」と思ってしまう自分自身に少し嫌気が差してしまう。
嫌でもどうにか向き合わなくてはいけないと思うのに、どうしても嫌だなと思うのだ。
我が子に対して「あなたの振る舞いは不快だ」と言われたことが、言われた息子本人よりも、母の私が嫌な気持ちになっていたことに我ながらびっくりしている。
普段は基本的に裏方に徹しているのに、珍しく、指導者の先生にも色々と現状を話してしまった。努めて感情抜きで淡々と話したのが良かったのか、ありがとう了解しましたと言われ、それ以降子どもたちを前よりもっと気にかけてくれるようになった。
他人に嫌な気持ちを抱くことをダメだダメだと言い聞かせて抑えることが当たり前で正しいと思ってきたけれど、「嫌なものはイヤだから別にいいじゃん」と思えたら、もっと楽に生きられるのだろうか。
自分が快く思う、あるいは不快に思うという事実を素直に受け止められたら、きっともっと楽に生きていけるのだろうなぁ。