遅くてもやらないよりまし

シングルマザーの会社員の日々の考えごと

雨。

梅雨空。

九州や西日本の豪雨のニュースを見て、心からお見舞いを申し上げます。
ニュースを見るのも辛くなるほどの惨状で、とにかく雨の季節が通り過ぎるよう祈るほかないけれど…何とも…悲しい。


雨はやはり怖い。

ここからは個人的な愚痴が含まれて話は逸れるけれど、昨日の夕方、ラジオやテレビでも「東北も大雨」というニュースがちらほら流れた。


それを知り、雨雲レーダーや落雷レーダー、1時間予報などを一通り見た。

確かに強い雨の時間はあるけれど、現時点では、東北は大至急避難を要する予報ではない。状況に注意して対応すれば大丈夫な気がした。
そして最近は近所の方々とも少し話をするようになり、何かあれば助け合える気がする。

人一倍雨が怖い、病的に怯えてしまう自分だが、最近は少しだけ、冷静に考えられるときも増えた。



なのに、だ。
なのに、だ。(怒りのあまり2回言った)


突然元夫から連絡があった。

東北は大雨らしいぞ
子どもたちを守るために逃げなくてもいいのか
お前雨が怖いんだろー?
逃げるならうちにくる?

…などなど


いつもそうなのだ。


1人で調べて、分析して、それなりに冷静に考えて抑え込んだ恐怖心を一気に再燃させてくる。

こちらの弱いところをついてくるのが、あまりにも腹立たしい。
そして、そういう弱い部分を持っている自分にも、腹立たしい。


離婚するとかしないとか言う頃、この私の「雨怖い病」がもっとひどかった。
だから、子どもたちの世話が思うように出来ないことがあり、私はともかく、子どもたちには辛い思いをさせるわけにはいかないからと、色んなところにひたすら頭を下げて、助けてもらった。

離婚調停でも「嫁は精神を病んでいるから子どもの親権を渡せない」と言われた。
つまり、先方がこちらに堂々と切れる唯一のカードなのだ。(結果的には、そこはまるで争点にならなかったが。)



かなり快方には向かっているし、自分でコントロールできるようになりつつあるのに、その時のことを蒸し返されるのは、腹立たしいし、悲しい。


しかし、最近は子どもたちが守ってくれることもあるので、恐怖心は行きつ戻りつしながらでも、過去には戻らず、出来るだけ強い母さんでありたいと思う。
今の私を助けてくれる大切な人たちには力を借りるかもしれないけれど…。


それにしても、雨はやはり怖い。
東北も大雨は降るときは降る。
そして、意外と雨に弱い。ハザードマップの想定は1000ミリなんてまるで想定していない。

でも、九州の雨量を見ると…もしこれが東北で起きたなら…?


決して決して決して、対岸の火事じゃないのだ。


我が家周辺のハザードマップを改めて見てみると、我が家は浸水は一応はそれほどでもないようだ。

しかし…陸の孤島みたいになるかもしれない雰囲気だ。

そんなわけで、避難ルートは冠水を避けられるようシミュレーションしなければ。

さしあたって、毎月震災の起きた11日前後に、その道を一度車で往復している。可能なら弱い雨の日に。


やれることはやっておくのも、恐怖を減らす努力だ。

「その時」の恨みは末代まで

職場の別な部署の同僚(男性)に子どもが生まれたらしい。
おめでたい。


比較的平均年齢が高い職場ゆえに、出産というおめでたい出来事は、そう頻度が高くない。

それでも、そのニュースを聞くと何となく嬉しい。




…私が長男を妊娠したとき、8年前は、役員に中絶か退職の二択を迫られた。
冗談だったのか、本気だったのかは知らない。
しかしその人たちはもういない。


そんな風に、各々の人生よりも会社や仕事を取るのを良しとする人たちがどんどん去っていって、仕事もプライベートも充実させられるのは、ありがたいことだと思う。


数年前までは、周りでおめでたいことがあったときに、自分との待遇の差に心の奥がチクチクしていたが今はそんなことはない。

自分が辛い思いをしたから同じ思いをしてほしい、ということを、全く思わなかったかと言えば嘘になる。だって辛かったから。
…でもやっぱり、負の連鎖は良くない。
自分が嫌な思いをしたら、次に続く人はそうならないようにした方が、みんな幸せじゃないのかなぁという気持ちの方が今は強い。



職場はまだまだ昭和の価値観の人も多いので、訳の分からないハラスメント発言をする人もいるけれど、徐々にそれが少数派になっている。


負の勢力に負けたくないなぁ、と思う。
自分の生き方を通しつつ、仕事も形を残しつつ、家族である子どもたちとも楽しく暮らしたい。そこは他人にとやかく言われたくない。






そんなこんなで、改めて、その同僚へ、ホントにおめでとうと思う。



ただ、男性陣には1つだけ言いたい。

子どもが生まれておめでたいから飲みに行こう、というのは、全くオススメしない。


寝不足で具合が悪い奥さんをほっぽり出して、お祝いと称して飲み会なんかしていたら…
ましてや、このコロナ渦の中、飲み会がきっかけで具合でも悪くしたら…


産後の恨みはしつこくしつこく根に持たれること間違いない、と個人的には思う。経験則からも。

王様の耳はパンの耳

現在我が家は、親子みんなで、あはれ!名作くんブームである。

かなり前のから最新のまで、何度見ても笑ってしまう。

今回のタイトルは過去シリーズのテーマソングの一節なのだが、これまた何回聞いても噴いてしまう。

金曜日はいつにも増して早めに帰宅して、テレビの前に3人で正座している。

こうして、同じものを見て子どもと笑えるというのは、楽しいなと思う。



こんな風にずっと楽しくいられると本当に幸せなのだが、正直なところ、ものすごく面倒でシカトしたくて投げ出したい懸案事項がある。

…実家の遺産相続問題である。


孫の私は正直なところその問題自体には直接的には全く関係ない。

しかしながら悲しいかな、私の親は、父も父なら、母も母で。昔から。

※父についての記事https://makrurylife.hatenablog.com/entry/2020/06/20/073935

いわゆる毒親、そして毒身内なのだ。実は。

遺産相続云々の結果、母から、何故か、生活が苦しくなるから金をくれという連絡が来た。



どうしてそう話が転がるんだろう?という展開になっているのが、端で見ていてとても辛い。

実家の身内のそういう不毛な色々が嫌で、高校進学と同時に下宿を始めて家を出た私なので、まあ、容易に想像はついたのだけれど…。


あまりにも心に留め置くのが辛かったので、今日運転しながら、息子たちに「何か、かーさん、ちょっと辛いんだよね。」「知っている人同士がケンカしているのを見るの、辛いよね」とぼやいてしまった。


…子どもは巻き込みたくなかったので、遠回しにサラッと愚痴ってしまった。


すると長男から意外な答えが返ってきた。


「嫌なら逃げれば良いんだよ」
「担任の先生が言っていたよ。もしも辛いことがあったら立ち向かうのもいいけれど、どーーーーしてもしんどかったら、逃げるのも良いよ、って。いじめの話のときに、言ってたよ。」
「何か悲しそうな顔ばっかりしてないでさ、一緒にこのあとコンビニでアイス買って帰って、名作くん見ようよ。」



…単にアイスを買う口実だったのかも?と後から思う部分も無くは無かったが、それでも彼に救われた部分は大いにあった。

成長したな。
我が子にアドバイスをもらえるとは、何だかとても感慨深い。そしてとても嬉しい。

そして彼にその知恵を授けた担任の先生、本当に感謝です…、と思った。連絡帳に書きそうになるほどだった。


そして、本当にアイスを買い(少しリッチなやつを)、名作くんを見ながらゲラゲラ笑って食べたら、少しだけ、元気が出た。


また実家のゴタゴタに向き合わないといけないかもしれないが…もしかして、無視(逃避)、という選択肢もありか?と思ったら、幾分気楽にはなった。

お日さまが誰かにかじられた

夕方の部分日食。

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ピンホール現象、というのを生かして、欠けている太陽を見ることが出来た。

お日さまが誰かにかじられた!と子どもたちが言っていた。想像力豊かで素敵だ。


昨日も今日も、何だか梅雨とは思えないくらいの良い天気だったけれど、私はやはり、隙あらば眠っていた。

でも、子どもたちがいてくれたから、一緒に昼寝したあと、ねえねえおやつだよと起こしてくれた。
私自身も、子どもたちをほっといて眠るのは良くないという気から、起きねばと思えた。

こういうとき、子どもたちの存在は本当に救われる。


しかし今日は、ひとつ「保育園の園長先生へ手紙を書く」という、やりたくないことをやらないといけなかった。

次男を保育園に迎えに行くたび、黒板に貼られている次男の「反省文」が気になって仕方なかった。

先週初めに、先生に書かされた、のだそうだ。

守るべき事が11個ほど箇条書きで書かれていた。
普通に考えて子どもは約束11個もいっぺんには守れない。

しかも、覚えたてのひらがなで、みんなは好きなことばを書く時間に、次男だけ、「○○はやりません」「○○はしないこと」とか書かされたのだとか。

うちの子だけ、そんなに守らないといけないの?
そんなに他の子と劇的に違うのか?


正直スルーしようか迷ったが、どうにもモヤモヤしてスルーできなかった。むしろジワジワ腹立たしくなってきた。

他の親子がみて、「○○くん悪いことしたんだよー」とか話のネタになっているのも気分が悪かった。


今年の担任の先生、どうも相性が悪い。

先日も、右目が弱視でメガネをかけている次男が、迎えに行くとメガネをしていない。

聞くと「言うことを聞かないので取り上げました」という。

は?という気持ちだった。

目の代わりになるものを取り上げた?

すごく自信満々に言われるので、「でもメガネはさせておいてください」とだけ言うのが精一杯だった。

その他にも、わずか3か月足らずで色々と不満がある担任の先生と、普通に話せる自信がなかったので、園長先生へ手紙を書こうと思い立った。


明日まで貼られる、という次男の話が本当なら、明日の朝も反省文は同じ場所にあるはず。

写真を撮って、その紙を取って、園長先生の手紙に同封すると決めた。


…私…モンペだろうか。
いや、今回は違う気がする。

次男は確かに全く言うことを聞かないのはわかるけれども、さすがに度を越しているような気がするのだ。


とりあえず今日出来ることは終わったので、あとは子どもたちと楽しくご飯食べて、お風呂入って、寝る。それがいい。多分。

油断するといくらでも眠れる

よしもとばななの「白河夜船」という小説が好きだ。

あれもまた、主人公がひたすら眠る話だったなぁと記憶している。(※ホントはもっと繊細で複雑なストーリーです)

ここ数日は、子どもたちはめいめいに保育園や学校へ行き、自分1人で昼間の数時間を過ごすようにしている。

保育園は、本当は仕事が無ければ預かってもらえないのだけれど、園長先生に「どうしてもしんどいので、いつもより早く迎えに来るから少し預かっていただけないか」と、おずおずと頼んだら快諾してもらえた。

「お母さん、今すごく端から見ても辛そうよ」「○○くんにとってもいつもの生活は大事だろうし、ほんの数日だし、普段時間をきちんと守って、色々気遣ってくれるお母さんなのを知っているから、今はどうか気にしないで」とまで言われてしまった。
うう、ありがたくって、泣きそう。

そして自分の日頃の行い、グッジョブ。


自分ではそこまでとは思っていなかったのだが…周りの意見も聞いて、今はお言葉に甘えようと思った。


どこも体調は悪くない。

しかし、ひたすら眠たい。

唯一頭が冴えるのは、運転しているときと、こうして文章を考えているとき。

ああ、あとは子どもたちとタブレットで、ポケ森(あつまれどうぶつの森スマホタブレット版)をしているとき。

…頭が冴える時間があるだけ、いいのかなぁ。



実家の方に連絡を取ると、悲しさは一段落して、やや諍いも起き始めている。

そちらを向いているときは、咄嗟に頭もフル回転するし、何とかしようと頑張るし、アクティブに動き回って、いいお姉ちゃんでいてしまうのが、長女の性(さが)でもあり、長子の性(さが)でもあるのだ。


しかし…またそうするとエネルギーを前借りして眠りに落ちてしまうので、子どもたちの助けを借りて、なるべく現実世界で頑張ろうと思うこの頃である…。

田舎におけるパッシングの意味

昨日子どもを連れて、片側1車線の見通しの良い道を運転していたら、突然対向車から

パチッ

と1回、パッシングをされた。


…ふむふむ。分かった。


片手を挙げてお礼を示し、ほんの少ーしだけ、さりげなくスピードを落とした。
対向車の男性も、うむうむ、と片手を挙げた。

別にその対向車の男性は知り合いでもなんでもない。
しかし妙な連帯感を覚えた。



…1キロほど走った先には、田んぼのあぜ道にひっそりと、黒い車がいた。取締りをしているようだ。

まあ、普段のスピードでも多分大丈夫だろうな、と思いつつ、さっきのスピードを保って直進する。


しかし私のスピード(法定速度よりやや早い)に業を煮やしたらしい、2台後ろを走る車が、推定90キロくらいのスピードをあげて、私とその後ろの車の2台抜きを試みた。

センターラインは黄色。
ああ、これはダメなやつだ。


…無茶な追い越しを試みる彼は、あぜ道の黒い車に気付いていない。


…ウゥゥゥウ…というサイレンが聞こえたので、後ろから来た黒い車に道を譲った。
…その後の展開は、まあ、予想どおり。



基本、パッシングはネガティブな印象がある。
後続車からされたら「あおりか?!」と疑うが、パチッと1回だけの場合は、状況から意図を酌むのが、ドライバー、とりわけ田舎のそれの暗黙の了解だと、これまで数々学んできた。


お先にどうぞ
この先で取締やってるよ
ライト上向きでまぶしいよ
信号変わってるよ!早く発進して!


…その時々で、意味は変わるけれど、全てに共通して言えるのは、

運転には集中する
怖いときや不安なときは、減速、停車

…だと、思っている。


田舎はみんな飛ばすので、事故ると悲惨になりやすい。
いずれ田舎だろうが都会だろうが、とにかくひたすら安全運転、しなければ。

日常と非日常の境目

実家から自宅に帰ってきた。
県境はまたがないけれど、それなりに時間がかかるので、運転による疲労が大きい。


運転しながらものすごい眠気が襲い、急いで最寄りのコンビニに寄り休憩を取った。

その後もやはり眠気はついて回り、コンビニを見つけるたびに入って、車を降りてコーヒーを飲んだり体を動かしたり、その後は大声で歌ったりしながら何とか自宅付近へたどり着いた。

車で眠ったら起きられないような気がした。



うわーーーっと色んなことが押し寄せて、やらなければと頭を働かせたしわ寄せが、自分の体に襲っているらしい。
あとは、親戚が来すぎて布団が足りなくなった実家で、ずっと客用座布団を並べて寝ていたツケがきたようだ。

とにかく眠いのだ。



子どもたちには

「きょう、かあさんは、つかれました。ねむたいです。よって、今からスーパーへ寄り、おそうざいを買います。」

と高らかに宣言した。

おおー!わかったー!という歓声が上がり、帰宅後はお皿の仕度やご飯をよそうのを手伝ってくれた。

疲れたときは疲れたと開き直るのも、たまにはアリだ。多分。

時々彼らは頼れる助手になる。
…早々に裏切られるリスクも常に伴うが。


幸いにも明日も休みなのだ。

実家と電話して、各種手続き関係のお手伝いを少ししたら、あとは気が済むまで寝る。



…ひたすら眠い、という記事になってしまった。