このお盆中、息子たちは祖父母宅…すなわち私から見たら、元義父母の家へ預けて、私は仕事だった。
仕事柄、お盆は世間一般の日程どおりの休みではないので、毎年預け先に困る。学童保育も休みだし。
今年は、コロナ禍だし実母は体調不良だしどうしよう、と悩んでいたら、久々に元義母から連絡があり、困っているのではないか、もし良ければ連れておいでと言ってもらえたのだった。
本当にありがたいことだ。
息子たちのおやつに、ミニスコーンを焼いた残りを持たせてやった。
離婚前、元義父母とは比較的仲が良かった。
干渉は嫌う人たちだったから頻繁ではないものの、交流はあり、数限りなく助けてもらった。
元義母のご飯はとても美味しいのでいつも作り方を教えてもらっていた。
そんなこんなで、息子は祖父母が大好きだが、ついに疑問を投げかけられてしまった。
お母さんはおばあちゃんと仲良しなのに、どうしてお父さんたちとは別々に暮らしているの?
お父さんは何でも許してくれるのに、どうしてお母さんは怖いの?何で怒るの?
など。
内心グサッとくる。
大人の都合に巻き込んだ責任を感じてしまう。
父親を悪く言って私が上に立つのは良くないとは思ってあえて何も言ってはいないのだが、大人のルールに照らし合わせると先方が有責なのだ。
何と説明したらいいか分からないが、ごまかすのは不誠実だし、未だ答えは出ていない。
複雑な気持ちだ。
悩む。
これからも悩むだろう。
…場は変わって、スーパーにて。
母親くらい年上の女性が同僚らしき人と買い物に来て、レジ待ち中に何やら話している。
「○○さんと××さんは多分出来ている!不倫よ!だってだって、すごく近い距離で話してるもん!ソーシャルディスタンスって何?!ってくらい近いのよ?!それに隣の席だし!××さんかわいいし!若いっていいよね!ずるい!」(要約)
なかなかに跳躍力の高い(※ぶっとんだ)理屈でちょっと笑いそうになった。
その後「おかーさん、ふりんってなにー?ふーりん?パプリカ?」と、こっそり大真面目に聞いてきた次男にも少し複雑な思いだった。
ふーりん=風鈴だと思っていた私
ふーりん=Foorin=パプリカな次男
ジェネレーションギャップだ。
まとまりがない日記になってしまった。