能登の地震の被災地に思いを馳せて、案じて、できることの少なさに歯がゆさも覚える。
東日本大震災が起きて2か月くらいの間、余震も繰り返し繰り返し続いて、停電もして、とにかく早くこの夢が覚めてくれと思っていたのを昨日のように思い出す。
そんな時に、他県の仕事や学生時代など、色々なつながりがある人たちからの優しさにどれだけ励まされたことだろう。
何かあったら、逆に同じように何かを返せる人になりたいと、当時強く思ったものだった。
しかし実際は、なかなか出来ることは多くない。
震災の翌年に生まれた長男と3年後に生まれた次男は、震災のときのことは全く知らない。
しかし、雷や台風などの自然災害が人一倍怖い私を見ているからか、彼らも災害のニュースにはとても敏感だ。
今回の能登の地震のことも、彼らなりに知ろうとしているようだ。
そんな中で、長男次男と同じくらいの年頃のきょうだい、その弟さん、お母さん、おばあさんが土砂に巻き込まれて亡くなって、外の様子を見に家の外に出たお父さんだけが助かった、そのお葬式のニュースを、偶然にYouTubeで見た。
長男次男と近い年頃の子たちを含めた我が子3人と、最愛のパートナーの奥さんを、目の前で一度に失ったお父さんの気持ちを思うと、ただただ涙が出た。
息子たちは息子たちで、いつになくその動画を真剣に見たあとで、特に長男が何やら考え込んでいたが…今年のお正月に父方の祖父母や私の母にもらったお年玉の中から、「これ募金したい」と千円札を私に寄越した。
彼らなりの知識で考えた「出来ること」を、受け止めて、協力しようと思った。
その後、その千円札に私のお金も合わせて、職場経由で募金をした。
額は小さくても、息子たちの思いがどこかで何か役に立ちますように、と、祈った。
息子たちとのやり取りの中で、「お金を集めたら、大事な人が帰って来る…なんてことがあったら良いのに」と呟いた息子たちに、私も、そんな奇跡があったら良いのにと心底思った。
さて。明日からまた月曜日。
朝はまた来る。